長井長義(日本薬学の父)
「失敗しながら未知に挑め!」
「失敗してもいい。自分で考え挑戦することこそ大切です!」
長井 長義(ながい ながよし)
1845年7月24日(弘化2年6月20日ー1929年(昭和4年)2月10日)
日本の薬学者、科学者。
気管支ぜんそくの治療薬となるエフェドリンの発見者。
日本薬学会初代会頭で、日本の近代薬学の開祖。
阿波国名東郡常三島村薙刀丁出身(現在の徳島県徳島市中常三島町2丁目)
明治期、それまで日本になかった本格的な化学を学び、日本に新たに“薬学”を根付かせた。
ベルリン大学留学、帰国後、東京大学教授、半官半民の大日本製薬(現・大日本住友製薬株式会社)の製薬長に就任、日本の化学、薬学の指導と発展に尽力した。
女子教育の発展にも尽力し、日本女子大学校開校に際し、自然科学教育を重視する成瀬仁蔵に懇請され本学教授に就任、香雪化学館を設置し、女性科学者の育成にも力を尽くした。
東京・渋谷に長井記念館がある。
徳島大学に長井記念ホールがある。